【番外編】「キミガタメ」という曲を聴くと、アンドレを思う。

ベルばら二次創作小説でもっとも感動的な一夜限りの愛の営み、そして出撃後のアンドレの死までを描くシーンになると、
私はこの曲が脳裏に浮かぶのです。

キミガタメ。

この曲をユーチューブで発見したのは、私がベルばら二次創作小説に夢中になった後のことです。

キミガタメは、 PS2ゲームソフト『うたわれるもの ?散りゆく者への子守唄?』EDテーマソングですが、
この曲は日本の神風特攻隊のパイロットたちの姿と遺書のバックミュージックとして多く使われる曲でもあるのです。

キミガタメはとても感動的で素晴らしい神曲の中の神曲です。

この曲を特攻隊へささげる歌として採用した方は、素晴らしい選択でした。

それは歌の素晴らしさだけでなく、このキミガタメ、というタイトルにも秘密があります。
「君の瞳に映る私は何色ですか 赤深き望き望むなら渡そう陽の光を」と歌が始まるのですが
「キミガタメ」などとカタカナで、さも印象に残るこの言葉が歌詞の中にひとつも含まれていないのです。

ということは、タイトルにこの歌の意味がある、と連想されます。

「君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな」この和歌をご存知の方は多いでしょう。

この歌は藤原義孝が読んだもので
「激しく恋した女性とようやく想いが通じ合い一夜を過ごし、それまではこの恋のためなら命を捨てても悔いは無い、
と考えていたのに想いが通じた今、ますます想いは募り、貴方と一緒に少しでも長く生きて行きたいたいと思うようになりました」
という意味が含まれています。

藤原義孝はたった21歳で儚くこの世を去った公家の男子です。

キミガタメの持つ意味は、この藤原義孝の和歌の意味そのものだと私は考えたのです。

作詞作曲した方が、まさかユーチューブ上で特攻隊パイロット達の「死にゆく物への鎮魂歌」になるだろうと計算して作られたとは思えませんが、
タイトルの「キミガタメ」とはいかにも電文で送られた言葉のようで、まさかとは思いますが、これは奇跡の偶然なのでしょうか?

話を元に戻しますが、この歌の意味はまさに
オスカル様とアンドレの一夜限りの愛の営みとその後まもなく亡くなっていくアンドレの気持ちを歌ったかのような詩です。

オスカル様にも同じことがいえるはず、ようやく手に入れた真実の愛、
身分を越えて誰の眼も気にすることのないところで二人で暮らそう、と決意した時でした。

オスカル様とようやく想いが通じ合い、一夜を過ごし、翌日にはこの世の人では無いアンドレ。

アンドレを失い、絶望にわれを失い悲しむオスカル様のお姿が眼に浮かびます。

ベルばら二次創作作家さんたちは、アンドレ視点、またはオスカル様視点でお話を進めていくのですが、
原作のシーンをなぞるように、または自分なりの解釈があって実に読み応えがある内容ばかりです。

オスカルとアンドレ

それがあまりに切なく悲しい話であれば、あるほど、この「キミガタメ」が脳裏に焼きついてくるんです。

ですが「キミガタメ」は単なるレクイエムでは無く、希望を残す歌でもあります。

歌詞の2番は

「喜びが溢れ巡り合いました、こぼれおつ笑みは別れを隠す

人はいつしか朽ち果てるけれど、歌となり語り継がれてゆくでしょう

君の瞳に映る私は何色ですか、緑(りょく)深き望むなら渡そうこの大地を

もろく儚げなものよ、強き美しきものよ、あるがまま

君の瞳に映る私は何色ですか、安らぎ覚えたなら、そこに私はいる

君の瞳に映る私は何色ですか、うら深き望むなら、渡そう、この想いを、渡そう、この想いを。」

このように、人はいつか死ぬ日が来るけれど歌になって人々に語り継がれると歌っています。

人は大切な人を守るため、国を守るための死は何かを残します、それがどんな形であっても。

実際、ベルサイユのばらの物語はこうして二次創作という名の吟遊詩人に語り継がれています。

いつか幸福な結末が二人に訪れるまで。